っているのだから

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っているのだから



???で、「ブログで自分を発信したいの?」と、ある日、痛いところをリアル人に突かれたわたしは、
自分のことが認められなかった、と感じた。
なぜ、記事をアップせずに(非公開にしたままで)、自分の中で収めておかないのか。
モチベーションを上げるため、と理由を書いてみたが、どうも納得できない、すっきりしない。
確かに、動機の大きなひとつではある。
が、全てでもないような気がしている。
なぜなら、そのリアル人の言葉の響きには、ブログアップを肯定しないニュアンスを感じ取ったからだ。

なぜ、あの人に否定されなければいけないのか?
ここでまたわたしの、一人相撲が始まる。

そりゃあ、嗜好や価値観は人の数だけある。
あの人の嗜好に合わなかったからといって、あの人に合わせる必要はない。
あの人が、ネット世界が嫌いなだけである。
嫌いなものを、嫌いと言ってなにが悪い?

「わたし、納豆、嫌いなんです」
「なにぃ? あんな美味しい、ネバネバしたものが、なぜ嫌いなんだ!!???」

みたいなものか。
人の嗜好にケチをつけるのも良くない。
だが、ケチをつけられたからって、ムキになるのも、もっと良くない。
同じレベルか。同じ穴のムジナか。

自分では、楽しいと思っていることをけなされた(認めてもらえなかった、賛同してもらえなかった)からといって、
自分を全否定されたわけではない。
なのに、このムッとする気分は何なのだろう?
おそらく???今、これを書きながら気付いたのだが、
わたしは、ブログ中毒に違いない。
中毒の結果、自分を救、良い中毒、ということになる。
これは、「良い犯罪」「良い病気」「謙虚な見栄」みたいなものか。
(意味不明)

???

前から引っかかっていた、喉に突き刺さっている小骨が少し取れたような気がした。
自分の熱中していることをけなされて、ふくれっ面をしている子ども???
オモチャを取り上げられそうになったわけでもないのに、「つまらんことして、おもしろい?」と笑われたような、
そういう図であるようだ。
喉に突き刺さった小骨は、
「おかしいなあ、自己顕示欲はほとんどないはずなのになあ???でも、それぐらいしか、思い当たらないし???」
という、あまり納得できていない、すっきりしていない、もやもや感であったようだ。

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